07 ゲリラ、王、パニック




 ラボカンパニーに警報が鳴り響く。ざわざわとした研究員たちのざわめきは、はっきりと不安を示して大きくなる。
 技官が何をしようとしているかを気づいて、研究員はさっとトロードを取り上げ子供のように背中に隠したが遅かった。技官はものも言わず研究員の腕をねじ上げる。
「生身の人間がマンマシーン相手に電脳戦なんて自殺行為です!かなうわけが、阻止できるわけがない!」
 研究員は切羽詰った金切り声をあげ、体全体ですがりつくようにして必死に技官を止めようとした。
 若い技官はトロードを握った研究員を振り払おうとするが、彼は手が白くなるほど力をこめて抵抗する。
「侵入は阻止できません、そもそもここの防衛網自体、もうGKPが掌握してるんです!我々にできることはGKPの侵入経路から――」
「侵入が止められないならさせてやれ!俺が捕まえる、捕まえてやる!」
 技官と言えど彼は屈強な軍人だった。
 研究員を投げ飛ばすように振り払い、技官はトロードを奪い取ると額と頬骨に貼り付け、手首の静脈に神経増幅用の短針パッチを力いっぱい押し付けた。
 技官にとってはかつての同胞、何よりも頼れるはずのあの歌うたいが裏切り者となって逃亡しただけでなく、このラボカンパニーのシステムに不気味な侵入を企てていることを知って、彼は猛烈な怒りの感情にかられていた。
 早くもあらわれた薬の効果は技官の脳を締め上げ、目を見開いた凄惨な表情のまま彼の四肢をだらりと脱力させる。そのままラボの情報機器群をカタパルトにして技官は電子の位相にダイブした。

 リクの肌の内側が総毛立つ。刺すような音が苦味を呼び起こし、目も眩む光が冷たいガラスの手触りになる。VRゲームなどでの視覚や聴覚だけのライディングとは比べ物にならない、五感をかき回すような感覚丸ごとのダイブ。
 リクの脳と神経は一瞬の、吐き気がするような位相の突破にもまあまあ慣れ始めていた。ここ何日かの「訓練」の成果。本来ならば人、ましてや民間人に許されるはずのない大出力の情報機器――すなわちマンマシーンや都市管理クラスのAI――に直接接続するライディング、電子の位相へのダイブ。
 0Mの力強いブーストにタイミングよく乗って<門>を潜り抜けるとそこはもう電子の位相。あらゆる状態が情報に置き換わり、あらゆる情報が状態を構成する電子のジャングル。
 ここではAIたちこそが原住民<ネイティブ>なのだ。ここを造ったのは人間なのに、この電子の位相では人は余所者、矮小な異邦人でしかない。
 リクはそれを初めてのダイブですぐ理解した。しかしそれで何を恐れることがあるだろう。この電子の位相に自分を送り込み、今もすぐそばで次々と鮮やかで強大なその力で侵入経路をうがっているのは、ネイティブであるAIの中でもとりわけ強力な――王ともいうべき強大な力を持った――マンマシーンであり、そして友人である0Mなのだから。
 その全幅の信頼は正しい。しかし王には補佐が必要だ。リクは自分の役割に取り掛かった。
 この友人は枷を背負っているのだ。リモート信号は電子の位相ではよりクリアとなり、追跡者にとっては行動の痕跡をたどる道標になりかねない。そのことを0Mに説明され、詳細は分からないもののリクはその危険性をよく理解している。
 だから矮小な異邦人、安定しない人間の脳を持つ自分がここにいるのだ。
 リクの役目は陽動<ゲリラ>だ。0Mがシステム外からラボカンパニーの防衛網を掌握し、システムへ無数の侵入経路を開く。そこに0Mから預けられた電子機雷をリクがばら撒いていく。リク自身には防御もないが攻撃の手段もない。攻撃者とならず、リモートも持たないリクはシステムに無視される。目的はF計画。軍用開発というトップシークレットそのもの。
 リクに幾重にも電子の壁で守られたそんなものを盗み出す力などありはしない。ほころびがあればいいのだ。電子のスピードで絶えず自己チェックを行うラボカンパニーのシステムを、一瞬、ほんの一瞬、余所見をさせればいい。撹乱してやるのだ。
 ほんの一瞬、ラボカンパニーのシステムが余所見をすれば――電子機雷の処理で自己チェックルーチンが飽和状態になれば――侵入する0Mのリモート信号を察知することができなくなる。リモートという枷さえなければ、この位相で、電脳戦で、拠点防衛型マンマシーンGKP-0Mは全能に近い。全能の王の要求に従って、システムは大事に抱えたトップシークレットをうやうやしく差し出し、なおかつそれを綺麗に忘れ去る――はずだった。
 怒りに震えるもうひとつの不安定な脳、矮小な異邦人の脳が乱暴にリクの前に立ちふさがる。システムが無視していた侵入者――リクを見つける。整然と生える電子のジャングルで、異質なものは異質ゆえの同類をすばやく察知する。
 リクは焦らなかった。事前に想定していたかというとしていなかったが、焦る前に0Mが動く。
 暴力的な信号の濁流が現れ、リクの前の侵入者を押し流す。技官はそれを想定していた。技官は武器を携えていた。自己展開するワーム。一歩間違えればシステムを食らい尽くす怪物の卵。自己犠牲?いや違う。怒りが自らをかばうことを忘れさせていた。
 冷静なシステムが察知する――濁流を放つ一瞬の隙をついて、枷――侵入者と向き合った0Mのリモートを。
 技官はそれを見逃さない。間違いなくそれを掴み取り、人間と言えど訓練された者の正確さとスピードで、自分を押し流そうとする濁流の中、ワームを展開し怪物を放った。
 リクは叫んだかもしれない。言葉など無意味な電子のジャングルでたまらず叫んだかもしれない。
 0Mが来いとサインを送ったように見えた、思えた?リクは必死に走り、飛び、流れ、0Mが切り開いた侵入路を逆走する。血の味がする光。不快にうごめく音。極彩色の臭気。全てが焦燥のサイン。F計画は?0Mは無事か?まさか、まさか。
 侵入者――本当の侵入者はリクたちだ――が笑っている。大声で、嘲笑するように笑っている。ようにリクには思えた。電子機雷は残弾があった。放る。不愉快な笑い声に。笑うな。0Mを、俺の友達を、笑うな。0Mがリクを捕まえる。怪物が追いすがる。0Mの閃光がそれを引き裂いた。加速する。<門>へ。弱い。あの力強いブーストが感じられない。使えないのか?あの醜いワームは引き裂かれ、振り落とされたのに。
 ――<門>を抜けた。
 何度かの「訓練」によってわかった「特性」により、結局は留守居をまかされることになったデンが泣きべそをかいてリクを見下ろしている。0Mはダイブする前と同じ、くつろいで壁に寄りかかった姿勢をとっている。しかしその青い瞳は閉じられていた。
 急ごしらえのトロードを額からむしりとってリクは跳ね起きる。デンが泣き顔になっているということは、あの位相での異変は「こちら側」でも自分と0Mに影響を及ぼしていたのだろう。
 リクは思わず確かめるように自分の顔を触り、腹や肩の辺りをぐねぐねと揉んだ。なんともない。自分はなんともない。おそらく、いや確実に自分は0Mに助けられたのだ。
「おいっ、0M、起きろ、大丈夫か!」
 0Mの肩を掴もうとして次の瞬間、リクは驚いて手を引いた。
 マンマシーンは触れないほどに高熱を発している。リクのトロードに繋がっていたケーブルがジッ、ジッと音を立てている。明らかに異常事態だった。
 動揺に唇を震わせて立ちすくむリクを押しのけ、デンが0Mの顔を覗き込んだ。
 服の袖を引き伸ばし、手を熱からかばいながら0Mの瞼をこじ開ける。ガラスの瞳はめまぐるしく青から赤へ色を変えながら激しく明滅していた。
「0M、聞こえる?「落ちて」ないね?聞こえる?」
 デンの悲痛な声にこたえて0Mの唇がわずかに開き、一瞬の不快なノイズを発した。人間なら脂汗をかいていることだろう。しかし精巧で無機質な0Mの人工皮膚はあくまでもなめらかに沈黙し、表情は微動だにしない――できないのだ、AIの処理が精巧な物理デバイスを制御するに至らないのだ。それほどに0Mの内部で「何か」が起こっている。脅威の運動性能を沈黙させ、あの深く響く声を不快なノイズにした0Mは人形のようだった。
 リクはもう一度0Mと接続しようとトロードを手に取ったが、デンが制止する。
「だめだよリク!大丈夫、0Mは「落ちて」ない!大丈夫!」
「何が大丈夫なんだよ!一体何が…」
「ソプラノだよ!」
 デンはリクの襟首を掴み、ぐいと引き寄せて激しく明滅を繰り返す0Mの瞳を覗き込ませた。
「瞳が赤いよ、多分、ソプラノがパニックを起こしてるんだ、僕らにはどうすることも――「あっち」で何かあったの?」
 デンはソプラノの歌を聴いたときに0Mの瞳が赤くなるのを見ていたのだ。驚いて大丈夫かと聞いてしまったが、0M自身はそれに気づいていなかったことがデンには少し可笑しかった。だがそれは同時に、ソプラノは本当に0M自身とは「別」なんだ、とデンに明確に意識させる出来事でもあった。
「予想してなかったやつがきて…多分ワーム…を撃ってきた、0Mがすぐやっつけたけど…」
 動揺してもごもごと話すリクに、デンは依然情けない泣き顔のまま、しかしきっぱりと言った。
「僕、0Mに、再起動の手順は聞いてる。「何か」あったら、どうすればいいのか、聞いといたんだ。そのほうが、いいと思ったから。」
 根拠のない自責の念にかられはじめるリクを慰めるように、デンは小さな声でだから大丈夫、と繰り返した。
 二人の少年はそれぞれに――デンは焦りに、リクは自責に――唇を噛んだ。二人とも、大声で泣き叫びたかった。誰かにどうにかしてと泣きつきたかった。しかし、ここには自分たちしかいない。大人の助けは借りられない。冷静になって、二人の友人を、無愛想なマンマシーンをきちんと守ってやらなければ――
「――だって、ソプラノはひとりぼっちなんだよ。」
 デンが0Mの瞳を覗き込んだままぽつりと言う。
「ソプラノには、0Mしか、いないんだもの…たった一人の友達、友達とかじゃないのかもしれないけど――そのたった一人に何かあったら、そりゃパニックにも、なるよ――少し、待とう。ソプラノを落ち着かせるのは0Mにしかできないよ。」
 はあっと大きく息をつき、そう言ったデンはもう泣いていない。リクも自らを罰するように強く唇を噛むのをやめた。





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