01 少年、アンドロイド、自由落下





 それ、はいきなりデンの前に降って沸いた。
 文字通り、降ってきたのだ。

 父も母も兄もその妻もわずらわしかった。
 自分を子供と扱うことになんの逡巡もためらいもない。
 古くから家にいる教師アンドロイドのほうがよっぽど彼らにとっては信頼できる家族なのだとデンには思えた。
 でも今日から、そんな家とはもう無関係。
 自分はまだ年は若くても、きちんと教育を受けた。
 わずらわしくても大人の言うことをちゃんと聞いてきた。
 不自由な子供の負債を辛抱強く払い続けて、自分は自由を味わう権利を得たのだ。
 デンは今日から自分の城となった小さなロフトを見渡して、満足げに笑った。
 窓の外からは有機投影ボードによるデータキャストがちらちらと夕刻を告げている。
 さしあたって――友人のリクをもてなす支度をしなければ。
 やっと不自由な子供を脱したデンにとってすでに一人でロフト暮らしをしているリクは、悪い両親を持ったせいとは言え、憧れの先達だった。
 デンの自活を祝って、手土産を持ってもうすぐここを訪れるはずだ。
 家にあった最新モデルの行き届いたハウスAIとは比べ物にならないお粗末加減だったが、デンは慎重にハウスコントローラのパネルを叩き、ロフトを友人を迎えるにふさわしい温度と湿度と照明にととのえる。
 小さなロフトのそれはまさに申し訳程度、――今時の一般家庭にはほぼ完備されているはずの、壁全体が発光、発熱し、照明と温度調節を兼ねるモリブデンウォールすら備わっていない――それに自分がおぼえたかすかな不安をデンは黙殺した。
 自分は今まで、あの快適さと引き換えに自由を封じられてきたのだ。
 そう考えれば、むしろこの不自由で面倒な環境こそが自由の証、いや勲章とすら思えてくる。
 過敏なほどに何もかもを新しい生活への誇りと期待に彩らせて、デンはうきうきと次はささやかな祝宴のために外で飲み物を買っておくことを思いついた。
 上着を羽織って靴を履き、クレジットパスをポケットにねじ込み、自動ですらないため手動でロフトのシャッターを開け――

 そこに長身のアンドロイドが轟音とともに着地した。

 小さなロフトのささやかなエントランスである金網はその衝撃で無残にひしゃげ、デンはそれを嘆く暇もなく、長身のアンドロイドに肩をつかまれ抱え上げられ飛ぶ。
 デンは自由落下を味わいながら必死にこれはいつもの、リクのセンスのいいサプライズと思おうとしたがいくらなんでも仕掛けが大きすぎた。
 デンの悲鳴を飛行機雲のようにひきながら、アンドロイドは地上15階を降下した。
 両足とその膝さらに片腕の5点を完璧に同期させ着地、再び轟音。
 しかし今度の着地点はいい加減磨り減った石畳だったのでその悲鳴は先ほどよりは小さい。
 着地直前にアンドロイドが少年を片腕で抱え上げ、着地と同時にその腕をサスペンションにして落下の衝撃を完全に回避したため、デンは着地の瞬間がわからず、自分の足が石畳に触れるまでその口を悲鳴の形にあけたままだった。

「お前っ、なんだよ、お前っ!」
 デンは無意味な言葉を吐き出しながら、忙しく地面と空とに視線を往復させながら、必死に冷静になろうとした。
 これはおおごとだ。
 こんな運動性能のアンドロイドなどそうそういない。
 地上15階から飛び降りて無傷の人間などいないように。
 彼らは人間社会に混ざるためにつくられているはずなのだ。
 いまや多くの人間の「労働」はほとんど機械に置き換えられ、その過程の、労働の対価と意味がそろそろどうでもよくなるあたりで人間は気づいた。
 多くの労働は人間とその社会のためのもので、そのノウハウや設備や制度は、結局「人間」向けにカスタムされたものしか存在しなかった。
 それら全てを機械のために作り変える手間を惜しんだ人間は、当然のように「機械」を「人間」に近づけていく。
 外観、筋力、知覚、認識、その他諸々を注意深く「人並み」にチューニングされたアンドロイドたちは、結果見事に人間社会に混在することとなった。
 社会に強く関わる役割を持つアンドロイドは高価で精巧な人工皮膚と造詣を持ち、それよりもっと簡素で単純な用途のためのロボットたちは練り上げられた工学デザインによるアプローチで人の社会に溶け込んだ。
 それは望まれ、成功した結果であり、人間から大きく逸脱した性能は「人間社会」には不要。
 それが人間とアンドロイド、この社会――構成する両者のための法律や意識も含め、まあまあよくできた社会――に共通する常識のはずだった。
 しかし常識は常識でしかない。いくつかの例外は常に存在する。

 自分の前にいる、青紫と紺と水色の長身のボディに長い紫の髪を揺らしている、明らかに「人並み」じゃない運動性能。
 こいつは一体何者だ?
 鬱屈した少年たちが一人残らずそうであるように、スリルに満ちたドラマをひそかにあれこれと夢見続けていたのに、いざその予感が目の前に現れるとデンの思考回路は全くの役立たずだった。
 そのことに少しショックを受けながら、それでも震える足をしっかりと踏ん張って、デンはきっとアンドロイドの顔を見上げた。
「お前っ、アンドロイドだろ!何してるんだよ!どこのだよ!お前のマスターはっ」
「…私はアンドロイドではない。」
 予想外の返答に唖然とするデンに、そのアンドロイドでないものは、深く響く低い声で続けた。
「私は、人型機械<マンマシーン>だ。」
 デンの膝は、もう抑えきれないほどに震えだす。
 人造人間<アンドロイド>ではなく、人型機械<マンマシーン>――それは宇宙開発や軍事関連など文字通り人間には出来ない、最早させられない仕事をする機械たちのことだった。
 マンマシーンたちは人間が今まで作り上げてきたシステムと設備をそっくり流用できる存在として、時に人間の宇宙服をまとい、時に戦闘機のコクピットに座り、宇宙開発や高汚染度環境、武力紛争地帯に、ほとんどの場合国家レベルの計画として投入されている。
 当然ながら、それはこんな小さなロフトがひしめく路地に立っていていいものではない。
 デンは幼いころに一度だけ、州軍の解放展示で見た最新型の戦闘マンマシーンの圧倒的な火力と運動性能を思い出した。
 それはほぼ人型の戦闘機で、デンの家族を含めた観客たちはその禍々しいほどの大火力デモンストレーションを文字通りショーを眺めるように見た。
 新し物好きで、所有するアンドロイドやロボットたちを我が子のように大切に可愛がるタイプのデンの父でさえも。
 それに違和感を感じたデンが素直になぜと問うと、マンマシーンはその目的ゆえに常に人間離れした機械で、憐れみや共感や愛情のような、人間やアンドロイドが必要とするものを必要としないようにできているのさと父は得意げに解説したものだ。

 そんな「もの」あるいは「存在」?
 とにかくそれが、デンの前で感情のない、いや、むしろうっすらと小馬鹿にしたようなさめた笑いすら浮かべて自分を見下ろしている。
 デンは混乱した頭で、スリルに満ちた本物のドラマが幕を開けてしまったことだけを、かろうじて理解した。
「何をしているか、と問われれば。」
 彼、そのマンマシーンはつまらなそうに自分が降ってきた上空を見上げ、デンに視線を戻し、
「逃亡中だ。」
 その台詞を聞くなりデンは酒をかけられて跳ねる海老のように後ずさり、ロフトの入り口にあたる小さなエレベータホールに逃げ込んだ。
 今にも上空から彼を射抜くレーザーかブラスターか、それかもっと大仰で物騒な何かが自分を巻き添えにするように思えて。
 デンの肘に殴られて、エレベータホールのパイプが騒々しくわめいた。
 紫の髪のマンマシーンはびくつくデンに興味を示したのか、軽く眉を上げ薄笑いのようなものを浮かべながらゆっくりと大股に後を追って一歩。
「どこの、と問われれば。」
「言うなぁ!言うなよぉ!僕は知りたくない!」
 混乱と怯えでさらに後ずさりながら思わず金切り声を張り上げたデンの耳に、マンマシーンの背後から聞き慣れた友人の声が届いた。
「なんでさ。おいデン、とりあえず部屋に上がろうぜ。そいつも連れてさ。」
 いつもクレバーで洒落っ気に満ちた自慢の友人は、どうやらデンをこの危機から救ってはくれる気はないらしい。
「リク!」
 友人が得意げに手にしているのは、エンデール社のキューブヌガー缶、徳用40個入り。
 デンとリク、二人が中毒というほどに好んでいる菓子だった。




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