02 イリーガル、空き缶、歌





「私はイリーガルだ。」

 GKP-0M――それしか名前はないというのだから仕方ない――は静かにその答えを繰り返した。
 すっかり日は落ち、ロフトは薄ぼんやりとした明かりで床にぺったりと座り込む少年たちとマンマシーンを浮かび上がらせていた。
 リクはくちゃくちゃぱりぱりと音を立ててキューブヌガーを噛み砕きながらデンとGKP-0Mの会話の成り行きを見守っているし、マンマシーンはゆったりとくつろいだふうに壁にもたれているし、かわいそうに家主のデンは背中を丸めて3人の中で一番居心地が悪そうに見える。
「そんなこといったって、お前は自我がある、自律してる、歩いて喋って――」
 デンはその先を繋げるのをためらった。
 自分でもそれは青臭い、良く聞く台詞としか思えなくてうんざりする。そもそも、なんでこんなつまらない、クソ真面目な人と機械の権利の話なんかになったんだろう。
 けれどデンは自分が愚かな少年だとは思いたくないのだ――今日は特に。
 自分は自立した一個の人間であり、守られていながら親鳥の羽をむしるひよこなどではないと、この人工の知性にわかってもらわなければならない日なのだ。
「権利が、あるんだ。アンドロイドにも、マンマシーンにも、権利が、あるんだ…」
 自立した一個の人間はどんな場合であれ、他者の権利をないがしろにしてはいけない。
 また、尊重されるべき権利が踏みにじられていたら、それを見過ごしてもいけない。
 たとえ同じ年頃の少年たちに綺麗事をと鼻で笑われても――
「人間にも?」
 逡巡しながら顔を上げずぼそぼそと話すデンに、マンマシーンが平坦な口調で問いかける。
「そうだ、よ…逸脱、は悪じゃ、なくて…」
「それは違う。」
 美しいマンマシーンは静かにデンの言葉をさえぎった。
 さえぎられたことにほっとして、しかしうろたえてデンは思わずその人工の瞳と視線を合わせてしまう。
 冷たい瞳、と思えてしまえば所詮機械と気も楽になれたろうに、その蒼い瞳は冷たくも暖かくもなく、すぐになかをうかがい知れるようなものは何もうつしておらず、つまりはひどく冷静な、デンの見慣れた大人のものでしかなかった。
「ヒトの逸脱は阻止される。生まれる前の。命の前の。意識の前の。知覚できない遺伝子の段階で逸脱は静かに阻止される。」
 リクの呑気なキューブを噛み砕く音が止んだ。
「マシンの慎重で緻密な計画と管理によって。」
「で、お前はどこから逃げてきたんだよ。」
 黙っていたリクが苛立った声で会話に割り込み、デンははっと我に返って友人を見た。
 部屋に戻ってから、リクの面白半分の、デンの切羽詰ったお前は何者だという問いに、マンマシーンは名前と違法<イリーガル>であることのふたつしか返答を寄越していない。
 さらに具体的な返答をどうにかと求めるうちに、極端に口数の少ないマンマシーンとの会話はなんだか妙に抽象的な、出口と正解のない議論のようになってしまったのだった。
 GKP-0Mはゆったりと顔をめぐらし、リクを見る。
「知りたくないんじゃなかったのか?」
「うるせえぞ、ジョークのつもりか?答えろよ。」
「軍だ。」
 簡潔な答えだった。
 デンは予想していて、ある意味知りたくなかった答えに息を呑んだが、リクは動じない。
「マンマシーンは嘘をつけるのか?」
「必要なら。」
「素人で悪いな、お前は兵器にゃ見えねえよ。本当のことを言え。」
「現状に嘘は必要ない。」
「嘘つけ、俺が知ってる兵器マンマシーンはどいつもこいつも見るからに物騒だったぞ。」
「こんなふうに?」
 キュゥとかすかにスマートな音を立てて、マンマシーンの肩に何かの発射口が開いた。
 デンはもはや明らかな恐怖にかられて腰を浮かしかけたが、リクがその腕をつかんで座らせる。
 聞けばリクはあの降下の、石畳に着地する瞬間は見ていたと言う。
 あの運動能力、つまり「ただごとではない」ことをわかっているはずなのに、どうしてリクはこんなに冷静なんだろう、とデンはおろおろする。
 何かの発射口はまたキュゥと鳴いて閉じた。
 マンマシーンの顔にはかすかな変化が浮かんでいる。
 威圧するような、嘲笑っているような、しかしどこか楽しんでいるような――
「兵器にも色々ある。人が見ただけで兵器とわかるようなものはごく一部。」
 尊大な教師のように話すマンマシーンを、リクは理由はわからずとも怒っているようなきつい顔をして見た。
「俺らくらいは簡単に殺せるんだな、お前は。」
「必要なら。」
 デンの家にいた教師アンドロイドはそういえば「逆に言うと」が口癖だった。
 実を言うとデンの父の口癖なのだが、家族として家庭に完全に溶け込んで暮らすアンドロイドはその学習機能の優秀さを証明するかのように、しばしば「癖」としか思えないレベルで人間の行動を模倣することがあった。
 このマンマシーンの口癖は「必要なら」かな、とデンは場違いかもしれないことをぼんやり思う。
 ああ、でも、アンドロイドが癖を獲得するには、家族のような人間のユーザーがいなきゃいけないはずで、家族を必要としないマンマシーンには、癖を刷り込む人間がいなくて――
 何を考えているんだとデンは一回ぎゅっと目をつむり事態に集中しようとした。
 さっきまで停滞しきっていた話の展開が早くてついていけない。
 ホロヴィジョンやVRゲームならストップモーションやスケールズームで、こんな大事なことはそれと教えてくれるのに――
 リクはどうして混乱しないでいられるんだろう。
「私の逃亡を妨げるなら排除する。結論を出すのは。」
 マンマシーンはふいと床のヌガー缶――中身はほぼリクが食べてしまいカラも同然――を取り上げ、ゆらゆらと二人の目の前で振って見せた。
「材質。」
 最初にリク、次にデン、と缶で指し示す。言葉は質問と思われた。
「知らねえよ、…スチール?じゃないよな。」
「アルミ…?なんかとりあえず金属。プラスティックじゃないよね。」
 意味がわからず戸惑うも、それでも素直な少年二人は顔を見合わせて答えた。
 マンマシーンが手のひら全体でその缶を覆うようにつかむと、チィーと小さなセンサー音がした。
 大きな手と缶の隙間から紫色の微弱な光が漏れる。
 音も光も全く一瞬のかすかなものだったが、明らかに自分たちには未知のテクノロジーの片鱗を見て、二人は少年らしい好奇心をそれぞれにのぞかせた。
 デンはいまだ戸惑いとおびえを、リクは警戒と苛立ちを解いてはいなかったが、マンマシーンの次の行動をじっと見守っている。
「粗悪なダウメタル。」
 つまらなそうに答えると、マンマシーンは有機ELボードキャストがちらちらと見える窓を向いて缶を放った。
 瞬間、二人の耳に音が届いた。
 ――いや、音?声?風?しかしそれをつかまえたのは確かに耳。
 一瞬の、目に見えぬ未知の衝撃を受けて二人の肌が総毛立つ。
 そして目を見開く隙もないほどの直後に聞いたことのない金属音。
 粗悪なダウメタル、安いマグネシウム合金の、エンデール社徳用40個入りキューブヌガーの空き缶は空中で紙吹雪のように引き裂かれ、小さなロフトを無数に舞う破片となっていた。
 それはメタルコルクの床に降りそそぎ、ちりんちりんと鈴のような音色を鳴らしてやがて無音。
 二人の少年の、驚愕の息遣いとつぶやきだけが残った。
「おい…今の…」
「なん、なに…リク、今の…」
 熱も煙も感じなかった。
「何か、聞こえたか?」
 マンマシーンが顔を二人に向け戻す。
「なんか、ワウッみたいな、ワンッみたいな、音…?」
「反響エリアに入っていたからな。」
「今のは、お前が…何か、撃った…?」
 リクが立ち上がり、破片をつまみあげる。手のひらにのせて確かめ、くん、と臭いをかいでみる。
「火薬、じゃない、熱くもなってねえ…溶け…てもねえな…」
 リクは割とあっさり回答を求める顔をマンマシーンに向けた。
「物体は固有の共鳴周波を持つ。それぞれに応じた周波を適切にあてれば破壊が可能。汚染も二次被害もなく、安価で汎用性の高い弾丸。」
 引き裂かれ、鋭利になった破片をマンマシーンもつまみ上げ、その手のひらに握りこむ。
 安価な金属は、同じく安価なウレタンのごとくにへにゃりとゆがんで小さくなった。
「これを破壊したのは「音」だ。」
 最後に破片を手にしたデンはその刃物のような鋭さを自分の手でたしかめ、ぞっとした。
 一瞬の後、リクの目が見開かれる。
「音響兵器かお前!今の、なんだよ!どうやったんだ!」
 リクは興奮した様子で破片をマンマシーンの顔の前に突き出しながら詰め寄った。
 マンマシーンはうるさそうに顔を傾け、リクの破片を取り上げながら答える。
「音響打撃<サウンドスパイク>、出力を最小限に抑えるために対象物の走査を行ったが、単純な破壊が目的なら必須ではないな――限定された破壊、ピンポイントでの機器凍結などには非常に有効。」
「ってことは、お前他にもなんかすごいんだろ!なあ!」
「いい加減「お前」はよせ。私はGKP-0Mだ。」
 言いながらマンマシーンは、驚きに思わず手に破片を握りこみそうになっていたデンの手からも、その危険な金属片を取り上げた。
 デンははっと、このマンマシーンは一貫して人間である自分たちを傷つけない配慮を忘れていないことに気づく。
 驚異的な威力の「音」は自分とリクの位置から大きく外れた窓に向かって放たれた。
 そうだ、あの降下でだって自分はかすり傷ひとつ負っていない――思い出すだけで胃がひっくり返りそうにはなるけれども。
 逃亡中であり、妨げるなら排除すると物騒な台詞を吐いたこの機械は狂ってはいない。
 狂って、暴れて、闇雲に逃げているんじゃなくて、何か目的と理由があって――?
「言いづらいんだよ、GKPとか。なんかコールネームはねえのかよ。GKP、えーと、ガクピ?ガクポ?…ははっ、なんだそりゃ。」
 リクはもうすっかり警戒を解いているようだった。
 あの威力を見せ付けられては、多少警戒したところでものの役にも立たないことを悟ったのだろう。
 クレバーで楽天的なリクらしい切り替えの早さだとデンは思った。
「軍では「歌うたい」と呼ぶ人間もいたな。」
 リクのリラックスしたサインを読み取ったのか、マンマシーンの表情も動いた。
 といっても、ほんの少し、楽しげに口角と眉が上がっただけだったが。
「急にユルくなったな。歌なんか歌えるのかよ。」
 そういえば、こいつは随分と整った顔立ちをしているな、とデンは思う。
 人間らしさを追求した結果、昨今のアンドロイドは人工物ならではの美しさを求められなくなってきていた。
 それは出生率も低下し人間一人あたまの貴重性が高くなりつつあるこの社会で、人間を補うための「機械」と「恋愛」をさせないための――特に少年少女たちに――消却的だがひどく傲慢な風潮の現れでもあった。
 マンマシーンはまた同じ台詞を言う。
「必要なら。」
 あの教師アンドロイドだって、あんなもっさりしたオバサンじゃなくて、こんなふうにぞっとするくらいきれいだったらよかったのにな。
 こいつは男性型だけど、きれいなのって悪いことじゃないのにな。
「歌ってよ、0M<ゼロエム>、僕ちょっと聞いてみたい。」
「0M?」
 ずっと黙っていたデンが急に楽しげに要求したので、リクは少し目を見開いてマンマシーンから視線を外し友人を見た。
「0Mだって名前の一部じゃん。僕はこう呼ぶよ、問題ないだろ?」
 初めて、明らかに微笑みといえるものを見せて、マンマシーンはうなずいた。
 薄暗い小さなロフトに、少年たちの耳に、低い歌声の旋律が響き始める。
 言葉は異国のもののようで、二人にそのゆっくりした歌の意味はわからなかったが、それは少し悲しく少し重苦しく、この機械の半生と意味を思えばじっと身じろぎもせず耳を傾けずにはいられない――そんな歌だった。






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