「神威さまぁ」

間延びした声で名を呼ばれ、その端正に整った顔立ちにわずかに憔悴の色を浮かべて青年は庭木の手配を指図していた植木屋から振り返った。
声そのものの鈍重そうな男が箱をひとつ手にしてのそのそと青年に近づく。

「お探しのもんはぁ、多分、こんなかだと思うです。」
「ああ…見てみよう。」
青年が箱を受け取ると男はのっさりとそれでも一応礼をして、道具屋や指物屋など家一軒片付けるために集められた職人たちがどたどたと行きかう屋敷の中へ戻っていく。
主を失った町道場は、その長くもない歴史を閉じている最中だった。
門下生もそれほど多くなく、旗本格であり師範代であった青年しかこの始末をつけられるものはいなかった。
青年は師を亡くした悲しみにひたる間もなく、慣れない煩雑な手続きや無情な仕事に追われて少し疲れているように見える。

ふうとひとつ息をつき、青年は縁側にわずかにあいた空間へ腰掛け箱を開く。
中身は確かに様々な書面だった。
ざっと紙の束をつかみとり、師の訃報を知らせる必要があると思われる相手のものをより分けながら、青年はそれを丹念に調べていく。
帳簿、禄の記録、書簡、様々な書付や覚書…
それらはほとんどが雑多な紙切れに過ぎなかったが、目的のものを見つけ出して青年の手が止まる。

「りん、か。」

書面に記された娘の名を確かめて青年はその名を小さくつぶやいた。
日付は7年前。
買い手は仲介だったようで妓楼の名は記されていない。
江戸最大の遊郭吉原が、青年が父とも慕った師の娘につけた値段はあわれなほどにわずかだった。

夏の日差しが、がらんとし始めた道場にあたって黒く濃い影をつくっている。
つい先日の、死の床で自分に許しを請い、涙ながらに娘に詫びる師の姿を思い出し、青年はその無念を思って唇を引き結んだ。








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