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「おや旦那。近頃肌寒くなってめえりやしたね。」
「そうだな…いいか。」

屋台の主は目を細め顎を軽く突き出すしぐさをして、青年は腰掛け代わりの醤油樽に無造作に座った。
「成り行きとはいえ、御武家様にご贔屓いただくなんてなぁそうそうありゃしませんからね、嬉しいもんで。」
主の手元から湯気が上がる。

「屋敷はあってもそれだけだ、無役の旗本なんぞ裏はかつかつよ。」
ぞんざいな言葉を笑いまじりに返しながらも、普段は自分とあまり変わらぬ年頃の男とこんな気安い口をきくことはない青年は、このすこし奇妙な屋台の主との気の置けない短い時間をそれなりに楽しんでいた。
主は微笑んだまま、黙って青年の前に箸と酒と皿を並べる。

「鰯の梅煮です。」
それだけ言うとまた手元に視線を戻した。
頭を落とした小ぶりの鰯が、粗末な器にそれでも品良く盛られていた。
料理屋でよく見る醤油で真っ黒に染まったものではなく、白木のような上品な茶色、ぴかりと光る青魚独特の色さえうっすらと残している。
それは店や市場で出来合いを買ってきたのではなく、主が手ずから煮付けたものだという証だった。

「それで何か、わかったか。」
屋台には他に客は居ない。
「…ああ、急かしているわけではないんだ。」
酒で口を湿らせてから、青年は鰯にかぶりついた。
骨までほろりとやわらかく崩れ、旬の魚の味を殺さない梅と醤油が香る。
間違いなくいつものようにうまかった。
どうもこの屋台が奇妙に思えるのは、出る物出る物不審な程にうまいせいだった。

「そのお口ぶりからすると、旦那のほうははかばかしくねえようで。」
鍋の蓋でも開けたか、盛大にあがった湯気が一瞬、青年の視界から主を隠す。
そもそもこんな小さな屋台で、湯気があがっていることが珍しいのだ。

「全くな。世慣れたつもりが笑わせる。」
「御武家様のご世間とおいらたちの渡世じゃあ、まったくべつもんでしょう。」
さらには青年は何度かここを訪れているが同じ料理を二度口にしたことはなく、屋台の柱に貼られた品書きから皿を選んだこともない。

「ましてや、あの大門の向こうとこっちじゃぁ、ね。」
醤油樽に座れば主は青年を一瞥し、だまって二品三品と見事な料理を並べるのが常だった。

「三浦屋の、紅雲太夫。」
手元に視線を落としたまま、主は独り言のように呟いた。
「その部屋付きにりん、という振袖新造がいるそうで。」
盃を置き、青年は主を見据え無言で先を促した。
「水揚げはまだ先ってえはなしですがなかなかに評判のようで、もう紅雲の名代をつとめるほどだとか。」
「年は。」
「14と。」
二品目の料理が置かれた。
「7年前の冬に7つ、で。」
主は困ったような、悲しむような笑顔を薄く浮かべて青年を見る。
おそらく主は察している、自分の無謀で幼稚な決意とその頑なさを。

「茄子の含め煮です。あったまってくだせえ。」
青年は目を伏せ、片手でその顔を覆った。
「辻褄は、あってしまったな。」
「おっしゃるとおりで。」

青年はしばらくそのまま動かなかったが、はっ、と息を吐くと思い切ったように顔を上げた。
その顔は明らかに作り笑いで、その目は主を見ようともしない。箸をとる。
「好物でな。」
「それはなにより。」

「三浦屋なら、私でも名前くらいは知っている。そこで太夫の名がつくならさぞや人気なのだな。」
「番付でもちょくちょく見かけまさぁね。」
わずかな歯ごたえを残してあっさりと煮含められた茄子は、塩漬けの紫蘇を刻んだものがあしらわれていた。
翡翠のような茄子の表面にその赤紫の色が小さく散っている。

「そうなると、まずはその紅雲太夫と馴染みにならんといかんのだろう?しかし、人気の太夫を相手に下心はないと言っても信じてもらえんであろうなあ。まったく、あの大門の向こうは色々と面倒なところだ。私のような野暮なものしらずにはなおさらだの。ああ、まさか太夫にお前様などお呼びでないと追い返されはせんだろうか、全くない話でもなさそうなところが困ったものだ。」
作り笑いを貼り付けたまま、急に饒舌に話し出す青年のあまりに痛々しい様子に主は眉を寄せる。

「…旦那。」
「美味いな、どこのものだ?」
「まさか、よくねえことをお考えじゃねえでしょうね。」
「遠くの名産より地場の旬とも言うそうだがな。」
「旦那。」
「そういえばさっきの鰯もたいそう美味かった。まだあるか?」
主はため息をつき、煮汁だけが残っている行平鍋を持ち上げてみせた。
「さっき、旦那が召し上がったので仕舞いです。また、次の秋のはじめまでお待ちくだせえな。」

自分の面子を傷つけぬよう、主が洒落にまぎらせてどうか無茶はしてくれるなといさめるその真意を青年はよくわかっているようだった。




   



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