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「紅雲殿には感謝しなければならないな。」

「ああ、いや、そなたの機嫌をとろうとしているわけではないぞ。無粋な私の振舞いに怒らず、よく真意を汲んでくれたものだと思ってな。」
「紅雲姐さんはおきれいなだけじゃござんせん、わっちにもうんとよくしてくれる優しくて聡いお方でありんす。」
何を言わずもがなのことをと、不満げな声で少女が答えると、青年は生真面目な表情を解いて少し微笑んだ。

「正直なところ、こんな野暮はお断り、と追い払われないかと気を揉んでいた。あれほど美しい太夫ならむしろそれが当然であろうよ。しかし、初回はそなたのほうがお断りと言いたげであったな。」
吉原の遊びを知らない野暮天だと見くびっていた青年が、意外と目ざとく自分を見ていたと知って少女はむっとする。

「そう邪険にするな、そなたが紅雲殿を心から慕っておるのはわかっておる。私がその紅雲殿を軽んじていると思われたなら謝ろう。」
士分ならではの横柄な言葉づかいではあったが、少女は不思議と腹を立てずに深く響くその言葉を聞くことが出来た。
この男はちゃんと太夫の美しさと心遣いをわかっている。
現金なもので、それが心のうちにすとんと落ちると、少女は急にこの目の前の青年が好もしく思えた。
なるほど役者のように美しいがその顔つきにはなよと崩れた風情はなく、華美ではないが切り絵のようにぴんと張った袴の折り目などには青年の育ちと気性がうかがえた。

「少し、私の話をしていいか。」
片手で少女を制しながら、青年は手酌で酒を飲み始めた。
口に含んでから軽く眉を上げる。

「美味いな。」
「お口にあうようでよござんした。」
座敷で供される酒や料理の質はそのまま楼と遊女の格に比例する。
この様子では、確かに育ちは悪くないようだが、その格の酒を飲みつけているわけでもなさそうだと少女は値踏みした。
紅雲にしっかりやれと言われたこともあるし、もうこの侍に悪感情はないが紅雲を飛び越えて何故自分を呼ぼうとするのか、少女は今だ不振を持っている。
客の中には新造贔屓を堂々と自称するものもあるが、そういう客は大抵遊びを心得た通人であり、うなるほどの金を持っている大店の楽隠居あたりが相場だった。
彼らは遊女の水揚げに自分がいくらかけたかを自慢にし、またその額と数を競うこと自体を楽しむのだった。
この侍はどう見てもその類の遊びを好むようには見えないし、そもそもそんな遊び方があることすら知らないだろう。
教えてやったらどんな顔をするのだろうと思いつき、少女はおかしさに口元をほころばせて銚子を抱え、青年の空の盃に差し向けた。
「私の父は、あまり誇れる人ではなくてな。」
今度は青年は少女の酌を素直に受けた。

「私が生まれてすぐの頃にお役目からあぶれてしまってな、それで自棄になったのかもしれんが、外での遊びばかりをするようになった。ここにも訪れたことがあるやもしれんな。」
「三浦屋にはお武家様のお客は多くはありんせんが…」
「国持ち大名ならともかくこのご時世、こんなところで遊ぶような羽振りのいい侍などほんの一握りよ。」
自嘲気味に笑って少しおどけてみせる青年に、少女も無邪気な笑みをつくってこたえた。
「父上はそんな有様だったが、私には幼い頃から剣を持たせてくれてな。自分もそれなりに腕自慢であったようだから、一人息子にはもっと上をと思っておられたんだろう。」

「しかしまあ、母上とは当然仲が悪くてな。私はものごころついた頃から母上の、父上に対する恨み言を聞かされておった。」
「ご兄弟はいらっしゃりんせんの。」
青年は少しくつろいできたのか少女の相槌をしおに、ぴんと背を伸ばして座っていた姿勢を崩して脇息に肘をついた。

「ああ、母上はあまり丈夫な方ではなくて…私を生んでからはいっそう床に伏せがちになられてな。一人息子に恨み言を吐くだけ吐いて、私が15のときに亡くなられた。」
「おいたわしいお話でありんす。」
「父上は母上の最期には妾の家にいたらしい。まあ、仕方のない人だ。父というだけでは心から敬うことはできんものよ。」
青年が淡々と話している内容はその身分を思えばつらい恥であろうに、その口調は至って穏やかだった。

「父上はその翌年にな。母上とは仲が悪かったのに、まるで後を追うように逝ってしまわれた。」
「…若様のお悲しみを思うと、」
「それがな、そうでもない。」
あたりさわりのない言葉で自分をいたわろうとする少女を、青年は悪戯っぽく笑い、また空になった盃を掲げてさえぎった。
「私はその頃剣に夢中であまり悲しんだ覚えはなくてな。薄情に聞こえるかもしれんが。」
青年が悲しんでいないことがなぜか嬉しく、少女は機嫌よく盃に酒を満たした。





   



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