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12




「なんじゃもう贔屓がつきおったか?」

老人は少女の髪に揺れる鮮やかな山吹色の花簪をちょいと指で揺らしながら聞いた。
孫ほどに年の離れた少女と向かい合うその姿はまったく優しい好々爺のようであったが、その目には油断のならない色を浮かべている。

「わっちに似合って、山の花の色とは思えない鮮やかさでござんしょう?高橋様。」
少女はにっこりとこぼれるような笑みを見せて、老人の問いをかわした。
青年は後日、頼んだ紙と一緒にこの簪を携えてやってきたのだった。
以来少女の装いには、その鮮やかな黄色の一輪が欠かせないものとなっている。

「そうじゃな、よく似合う。」
少女に花のような笑顔でさぐりをかわされた老人は面白くなさそうに、それでも人のよい笑みをつくって誉め言葉を吐いた。

「だが、ちいと安いのう。わしならもっと上物を選ぶぞい。」
老人は少女ににじり寄り、簪をもてあそんでいた指で、すいと少女の頬を撫でる。

「近頃、とみに艶気を増してきおったのう、りん?」

その感触に少女はぞっとする。
老人の手に思わず肌があわ立つほどの嫌悪感を覚えた自分が、少女は信じられなかった。
なんだこれは。

あの青年が自分の頬をくすぐったときは、あれほど甘く心地よく、この感触を永遠に味わい続けていたいとさえ願ったのに。
想われる、とはこれほど甘美なものかと胸をときめかせたのに。

こんなはずでは、と体をかたくした少女に老人が気づいておや、と顔をのぞきこむ。

「どうしたね、りん。」
頬を包もうとする老人の手を思わず叩き落とし、少女はその自分の行動に驚いていた。
いけない、いけない、という言葉だけが少女の頭の中で渦巻いている。

こんなことではいけない、この人は大事なお客なのに。
触れられてはいけない、あの手以外には。

相反するふたつの思いが交錯し、少女は真っ青な顔でただ細かく首を振り続けるしかできなかった。

「こわがらせてしまったようじゃな。」
老人は人のよい笑みを崩さなかったが、思わぬ反応をした少女に少し気分を害したようだった。
「紅雲のあとをつぐ花魁になるんじゃろう?それともそんなうぶな様子をはやくも手管にしおったか。」

老人は少し意地悪く言うと、少女の髪の簪をすいと引き抜いた。
「こっちへおいで。」
有無を言わせぬ声だった。

「おまえをわしのほんとの贔屓にしてやろうな。三浦屋りんの初床は船問屋高橋。そら、そう言えばいい箔がつくじゃろう?」
体をこわばらせたままの少女を少しばかり強引に老人は抱き寄せた。
枯れ枝のように節ばった老人の手もその力は意外に強く、それはしたたかに生き抜いてきた老獪な大商人の強さそのものだった。

「り、りんは、他にもお話いただいてると、聞いて、まだ、」
まだ混乱しながらも少女は必死に顔を上げ老人の腕に納まるまいと身をよじった。
少女の脳裏にまたあの青年の眼差しと声がよみがえる。

想われ、求められればあの甘い時間をもう一度味わえると思っていた。
男とは、こんなに恐ろしいものだったのか。

違う、嫌、あのひとでなければ嫌。

紅雲の言う、ここは地獄、は本当だった。
このおそろしさを抱えてこの色街で自分は生きてゆかなくてはならない。
地獄の鬼に会う前に、心を預けられるたった一人を、自分は見つけてしまったのだ。

恋と絶望を一緒に知った少女は自分の愚かさに唇を噛んだ。
何故もっと早く気づかなかったのか。
何故ずっと気づかずにいられなかったのか。
今やっと見えた真実は少女にはあまりに残酷で、いっそ声を上げて泣いてしまいたいほどだった。

「大野屋はひきおったよ。なんぞ、店で揉め事でもあったんかいな、奉公人が3人、手代が1人、と景気よく辻斬りにあってな。お役所に痛くもないハラ探られてしばらくおとなしくしとるとさ。なにどうせあのたぬきのことじゃ、ごうつくがたたってどこぞで恨みをかっても不思議はなかろ。」

わしも人のことは言えんか、と老人はおどけてほっほと笑った。
少女は老人の言葉を聞く余裕はないようで、真っ青な顔であの、でも、と意味のない呟きを繰り返している。

「いい加減にせんかい、りん。」
「いい加減にするのはぬしさんじゃぁありゃせんかえ。」
老人が苛立って声を荒げたその瞬間に、小気味よい声で制止をかけたのは後ろに禿を従えた紅雲だった。

「こりゃ、あれほど言ったがまぁたこそこそと。わっちからりんに鞍替えしようってんでありんすかえ。」
老人は悪戯を見咎められた子供のようにびくっと体を震わせ、口をあけて艶やかな打掛のまま腕を組んで仁王立ちする紅雲を見つめている。

「な、なんだ、りんの面倒を見てやってくれと言うたはお前じゃろ。」
「わっちはまだ早いとも申し上げたはず。まらばっかりお達者で、お耳はもういけなくなりんしたかえ高橋様。」
紅雲の言葉は一見乱暴だが、付き合いの長い老人は心得ているようで気を悪くする様子はなかった。

「なんじゃ、珍しくやきもちか。」
「お好きに思ってくださんし。わっちはぬしさまがわっちの言うことなんか右から左と聞き流してたんが腹立たしいんでありんす。」

いやいやそんなことは、と相好を崩して紅雲に向き直る老人の腕から解放された少女は、姉太夫が自分の窮状を察して助けてくれたのだとようやく思い至る。
もう老人の興味を失って所在なげに床に転がっている山吹の花簪を、少女は急いで拾い上げ、ぎゅっと胸に抱いた。





   



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