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「こりゃちょっとした果たし合いだな。」
無頼はぼりぼりと顎を掻きながら面白そうに言った。
青年は答えない。
「見届け人はなしだ。あの狂犬の耳を持ち帰れ。それでおめえの仕事は終わりだぜ。」

猫の目のように細い月だけが頼りなく光る夜だった。
青年の前に立つ男はその影しか分からなかったが、その両手に握られた抜き身の小太刀がかすかな月光を弾いていた。
おそらく男にも青年の姿形ははっきりとは見えていないだろう。
だが、互いの殺気は痛いほど感じていた。

青年は懸命に振り払おうとしていたが、内心の恐怖をどうしても制することができなかった。
目の前の男は今まで自分が斬ってきた相手とは全く違う。
構えも動きも一見無造作にすら見えるのに、手負いの獣のような威圧感を全身から発している。
時間はかけられない。
そこは孤島でも流刑地でもなく、深夜とは言え誰が通っても不思議のないただの川べりだった。

獣のような唐突さで男が踏み込む。
二本の小太刀は青年を絞め殺そうとする蛇だった。
青年は刀を立てそのまま体ごと下に刃を引いた。
小太刀の蛇は空を噛み、男の胸は青年の太刀で大きく切り裂かれたがその傷は浅い。
そのまますれ違い、二の太刀は双方の背後からとなる。
俊敏に体を反転させた男に対し青年は素早く剣を持ち替え、背後の見るまでもない殺気の塊に太刀を突き刺した。
かなりの手ごたえに、はっと小さく息をつく。
青年の太刀は男の腹を深々と刺し貫いている。
剣術の正道からは大きく逸脱した本能の剣だった。

太刀を引き抜くと同時に、どうと倒れる男は微動だにしない。
青年は荒くなる息を抑えながら立ち上がり、しばらく構えを崩さなかった。
刀を抜いたまま鞘に収めず、息を殺して耳をそぎ、青年は急いでその場を離れた。

「短い付き合いだったな、名残惜しいぜ?神威の旦那。」
立ち去る身支度、といってもごく簡単なものを淡々と続ける青年に、無頼が声をかける。

「もう旦那はいらんぞ。侍の名も売ればそこそこにはなるものだな。」
青年の腰には、武士の象徴である二本の刀はもうない。

「どうするってんだい、そこまですっからかんになってよ。その金で何をしようってんだ。」
さりげなさを装ってはいるが、無頼の声には心配と抜け目のなさがあらわれて妙に不安定なものとなった。
青年は意に介せず、しゅっと音を立てて羽織をまとう。
この一月の間、滅多に袖を通されなかった白い羽織は少し皺がよっていたが、それでも青年のやつれを隠し、その凛とした風情をととのえるには充分だった。

「さあな。金のわけは聞くなと最初に言ったはずだ。」
無頼はそれが癖なのか、顎をかきながらしばらく青年を見守っていたが、やがて意を決したように言った。
「親分は、おめえに盃を、」
「ふん、物騒な人斬りは繋いでおけというわけか。」
言葉を捜しながら話そうとする無頼をさえぎって、青年は鼻で笑った。

危険な手駒が予想以上の働きをしたことに、侠客どもは驚き、そして不安を抱いたに違いない。
自分たちにとって脅威となるものならば、野放しにせず手の内に入れておこうと考えたのだろう。
あるいは危機の芽ははやめに刈ってしまえという魂胆か。

「まあ、な。」
青年に見越されていることもまた見越して、無頼は再び顎をかく。
この無頼だけは、青年と一月あまりをずっと過ごしていただけあって多少は思うところもあるようだった。

「断ったら。」
青年はほぼ身支度を終え、ちらりと横目で無頼を見た。

「うちの親分はなかなか諦めが悪いぜ。」
彼にはどうすることもできないだろうし、またそれほどする気もないようだ。
やくざものにしては風変わりな男だな、と青年は改めて思う。

「悪党らしくて結構なことだ。追いたくば追え。ひとまず貴様らとの縁はこれで終わりだ。」
腰に一本だけ残った太刀を、無頼に思い出させるかのように挿し直す。
そのまま疲れた背筋を伸ばして振り向かず立ち去る青年を、無頼は感情のない目で見送った。





   



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