「若様は、りんのためなら、死ねるとおっしゃいますか。」
「りんは、」
「りんは、若様のためなら生きられます!」
少女の、叩きつけるような声と射るような強い眼差しに、ああ変わらないと青年は思った。
この強く美しい、幼くも気高いこの眼差しは、はじめてあったときから変わらない。
今にも崩れそうな危ういものを抱え込んだまま、この少女はこの目でいつも自分を見据えてきた。
どんなに繕っても秘めていても、この目はやすやすと自分のうちを射抜いてくる。
「若様がいなけりゃ、りんには生きる道理もわけもござんせん!」
少女は泣きじゃくりながら自分の着物の袖を引き裂いて、青年の傷に強く押し当てた。
死なれてなどなるものか。
この人はあたしのもの。
勝手にいなくなるなんて、許さない。
そんな、お別れみたいな目で、あたしを見ないで。
「りんのために死ねるというなら、りんのために生きてくださいませ!りんのために、その血をいますぐ止めてくださいませ!」
やっと二人になれたのに。
わかってない、なんでわかってくれないの。
どれだけあたしが、あなたの隣にいたかったか。
どうしてわかってくれないの。
お菓子も、紙も、簪も、着物も。
あたしが欲しいものは全部わかっているくせに、どうして一番欲しいものはわかってくれないの。
どうして、一緒にいようとしてくれないの。
「りんのために死ぬことすらもおできになるなら、その血を止めることくらい、わけないはず、です!」
泣き叫ぶ少女のその声は、痛みを押しのけて青年の心に届く。
興奮のあまり、全身を震わせ金切り声で叫ぶ少女の肌をこれ以上汚さぬよう、青年はおのれの傷口を覆う血まみれの布を握り締めた。
「私が…りんの願いをきかないことが…あったか?」
あからさまな強がりを言う自分に少し自嘲しながら、青年は上体に力を入れた。
青年の目に光が戻ったのを見ても次々と零れ落ちる大粒の涙は止まらなかったが、少女は泣き笑いの顔でいいえ、いいえ、と繰り返した。
「わ、若様は、いつも、いつも、りんのお願いは、き、聞いて、くれます。」
しゃくりあげる少女にせめてもの安心を与えようと、青年は微笑んで見せる。
鞘を杖にぐっと身を起こし、少女の袖と自らの羽織で脇腹の傷を強く締め付けると青年はふらつきながら立ち上がった。
この少女のためなら死んでもいいと思っていたはずだった。
けれど、少女は生きろと言う。
自分の全てと引き換えてでも、全ての望みを叶えてやりたいと願った少女が、自分に生きろと言っている。
傷は浅くはないが、もう倒れるわけにはいかなくなったのだ。
「りん。」
肩を貸そうとするもその体格差はどうすることもできず、ひたすらに傷を押さえる少女に青年は声をかけた。
「江戸での用は、終わったぞ。」
はっと目を見開いて自分を見上げる少女にもう一度微笑みかける。
自分を惑わすも導くも、この目なのだ。
やはり、守ろうなどと思ったことが間違いだ。
守られているのは、脆い自分。
ならば、そばを離れてはいけない。
この目に、この声に、この温もりに導かれるならば、どこまでもいけると信じよう。
こんなふうに肩を寄せ合い暖めあう時間を、いつまでも一緒に紡いでいけばいい。
りんをこんなに泣かせて、腹に穴まで空けられて、まったくこんな簡単なことになぜもっと早く気づかなかったのだろう。
少女の肩を抱き寄せ、青年は荒れた部屋を一瞥し顎で行李を指した。
「血まみれだぞ。手伝ってやれないが、着替えろ。」
「わ、若様の傷のほうが。」
「馬に乗ると言っただろう?りんを前に乗せていれば私の血は人目につかんで済む。」
確かに青年の腹に巻かれた白い羽織はじくじくと赤くなっていたが、そこ以外は特に血を浴びていなかった。
少女ははじかれたように行李に駆け寄り、手早く血まみれの着物を脱ぎ捨てた。
「目の毒だな。」
「若様、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
手足の血糊を拭き取りながら、涙の跡はいまだ消えていない顔で少女が笑う。
青年も笑った。
互いに、やっと本当に笑ってくれたと同じことを思っていた。
「今すぐここを離れなくっちゃあいけないんでしょう?」
「察しがいい。」
てきぱきと着替えを済ませた少女は、きりと背筋を伸ばしてあたりを見回した。
大丈夫。一緒ならきっと大丈夫。
若様はあたしをあの街から救い出してくれた。
だから、今度はあたしがこの人を守る。
ほら、もう何にも怖くない。
行李をずるずると引きずって少女は庭に駆け下りた。
ふらつきながらもしっかりとした足取りで青年はその後に続く。
「若様!はやく!」
つめたい空気に、はじけるように澄んだ少女の声が響く。
冬の朝日に少女の姿が重なり、青年は思わず目を細めてそのまぶしい光を追った。
<完>